校閲の仕事について解説[練習問題で学ぶ]

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校閲の仕事について解説[練習問題で学ぶ]

「校正」と「校閲」の定義は明確に定められているわけではなく、会社や人によって認識が違うことがあります。「校正」は素読み・「校閲」は事実確認(ファクトチェック)としている会社もあれば、「校正」は突き合わせのみを指し、その他の素読みやファクトチェックはすべて「校閲」に含まれると説明される場合もあります。

このように解釈に幅がある「校正」と「校閲」ですが、いずれの解釈にも共通するのは、「校閲」のほうが内容により深く踏み込んだものだということです。

たとえば『Editor's Handbook 編集者・ライターのための必修基礎知識』(雷鳥社、2015年)では、「校正が主に、誤字脱字の修正、文体の統一など、『文章を読みやすくする』ことを目的にするのに対して、校閲は、前後の文章に矛盾点がないか、事実関係が正しいかなど、原稿の内容そのものにまで踏み込んで作業をおこなう」とされています。

では、内容に深く踏み込むとは具体的にどのようなことでしょうか。この記事では内容に踏み込んだ校閲的な指摘の出し方について、文章例をもとに解説します。

[記事作成にあたっては、以下の書籍・辞書・サイトを参考にしています]

『Editor's Handbook 編集者・ライターのための必修基礎知識』

例文③の内容について
・朝日日本歴史人物事典 「徳川家継」

・朝日日本歴史人物事典 「徳川吉宗」

例文③「年齢のとなえ方に関する法律」、韓国での年齢表記について
・年齢のとなえ方に関する法律
https://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=324AC0100000096
・「国民が1─2歳若返り、韓国で「数え年」廃止の新法施行」(ロイター)
https://jp.reuters.com/article/southkorea-age-idJPKBN2YE0DD

校閲の練習問題でやり方を学ぶ

以下の①~③の文には、それぞれ校閲の観点から指摘を出すべき箇所があります。

必要に応じてファクトチェックしながら、どこに指摘を出せばよいか考えてみてください。なお、指摘を出すべき箇所は複数ある場合もあります。

1. 練習問題①

 校閲の練習問題

<問題>

夕方になってカイロ国際空港に到着した。明日からはスーダン、エチオピアを経由して目的地のナイロビまで、アフリカ大陸を横断する予定だ。

<解説>

まず、文中の固有名詞「カイロ国際空港」「スーダン」「エチオピア」「ナイロビ」が合っているかを事典等で確認します。次に、これらの場所を順に訪れるという文脈なので、道筋として不自然でないかを地図でチェックします。

いずれも問題ありませんが、校閲として指摘を出す必要があるのは「アフリカ大陸を横断する」の部分です。カイロ国際空港からナイロビまでの道筋はアフリカ大陸の北部から東部を通っており、「横断」という表現はふさわしくないと思われます。

2. 練習問題②

 校閲の練習問題

<問題>

日本海は荒れているというイメージがあったが、夏真っ盛りという季節のせいか、思っていたより波は穏やかだった。椿の花が咲く道を歩いて、筑後大島駅から帰りの電車に乗り込んだ。

<解説>

この文については、校閲的な観点で指摘すべき箇所が2つあります。

1)季節の設定と描写の整合性

椿は一般的に冬に咲く花ですが、1文目には「夏真っ盛り」とあり、季節の設定と描写の整合性について指摘が必要です。

類似の例として、「夏の場面なのにコートを着ている」「夜なのに日傘を差している」といったケースも見られます。季節、時刻、天気などの場面設定に関する表現が出てきた際は、常に念頭に置いて読み進めるようにしましょう。

2)駅名

文中の駅名「筑後大島駅」を調べると、合致するものはありません。似た駅名と間違っている可能性を考えてさらに調べると、「筑後大駅」がヒットするかもしれません。

しかし、即座に「筑後大島→筑後大石」とする指摘を出す前に、少し考える必要があります。筑後大石駅は福岡県の駅であり、「日本海」からの「帰りの電車」という文脈にそぐわないと思われるためです。

「大島」ではなく「筑後」のほうが間違っている可能性と日本海側という情報をあわせて考え、「筑後」(現・福岡県)ではなく「越後」(現・新潟県)かもしれないと思い至ることができれば、校正者としての勘が養われていると言えるでしょう。

後大島駅」を調べると新潟県の駅がヒットし、日本海にも比較的近いことが確認できるので、「筑後大島→越後大島」とする指摘を出すのが適切です。

3. 練習問題③

 校閲の練習問題

<問題>

第7代将軍徳川家継は宝永6年(1709)7月に生まれ、享保元年(1716)4月にわずか6歳で没した。そのあとを継いだ第8代将軍徳川吉宗は貞享元年(1684)10月に生まれ、宝暦元年(1751)6月に没しており、家継とは対照的に68歳まで生きた。

<解説>

ファクトチェックについての説明は割愛しますが、「徳川家継」「徳川吉宗」それぞれについて、将軍としての代数・名前の表記・生没年月はいずれも問題ありません。この例文に関して問題となるのは、年齢の数え方のばらつきです。

徳川家継の没年齢は6歳となっており、1709年7月生まれ・1716年4月没であることから、これは満年齢(生まれた時点を0歳とし、誕生日ごとに1歳を加えていく)だと判断できます。

一方徳川吉宗については、1684年10月生まれ・1751年6月没で没年齢は68歳とされているので、数え年(生まれた時点で1歳とし、新年を迎えるごとに1歳を加えていく)になっています。いずれも同じく江戸時代の人物なので、年齢の数え方は統一したほうがよいと考えられます。

日本での年齢表記が数え年から満年齢に切り替わった時期については、「年齢のとなえ方に関する法律」(年齢は満年齢で表記すべきと定める)が施行された1950年がひとつの節目と言えます。上の徳川家継・徳川吉宗のような歴史上の人物については、通常は数え年表記とされているようです。

ちなみに、現代では日本を含めたほとんどの国で満年齢が用いられていますが、韓国では例外的に数え年が使われ続けていました。しかしその韓国でも、2023年6月に満年齢表記を義務付ける法律が施行されました。今後韓国に関する内容のものを校正する際は、年齢の表記に注意が必要になるかもしれません。

おわりに

以上のように、内容に踏み込んだ指摘を出すためには正確なファクトチェックに加えて、論理的に考える能力、一般常識、時事問題への知識などを総動員する必要があります。こうした指摘出しは一朝一夕にできるようになるものではなく、他者の校閲からも学びながらアンテナを鍛えていかなければなりません。

他の校正者の校正ゲラを見られる環境にあるなら、積極的に目を通すことで、自分では気づかなかったポイントを経験として蓄積することができます。

近年では新聞社の校閲部などがSNSで校正の実例や練習問題を発信しているので、それをチェックすることでも新たな気づきがあるでしょう。