
校正者が仕事から離れて読んだ書籍の「読書感想文」
この記事で紹介する読書感想文は、普段は文章をチェックする仕事をしている「校正者」が、仕事から離れて一読者として本を読み、その感想をつづったものです。今回紹介するのは、現役の校正者うめこさん(平成生まれ)が、松原タニシさんの書籍『事故物件怪談 恐い間取り』シリーズを読んだ感想です。
松原タニシ.『事故物件怪談 恐い間取り』. 二見書房.
今年5月に最新刊発売/今夏『事故物件怪談 恐い間取り』シリーズ映画化
特設サイト> https://www.futami.co.jp/lp/horror/matsubaratanishi/index.html
校正者が読む『事故物件怪談 恐い間取り』の読書感想文(約2000字)
今の自分を見つめ直し、子どものころ想像していた姿ではないな、と考える人は多いことだろう。それが良い予想外だとしても、悪い予想外だとしても、子どものころ考えていた理想の人生をまっすぐに歩んできた人は少ないはずだ。
松原タニシ著『事故物件怪談 恐い間取り』シリーズ(以下『恐い間取り』)は、「事故物件住みます芸人」の松原氏が事故物件で体験した不思議な出来事や、知り合いから聞いた家・土地にまつわる恐い話などをまとめた書籍である。各エピソードに間取り図や地図、写真が掲載されているため、「現場」を想像しやすくなっている。
子どものときに「自分は不慮の亡くなり方をするだろう」と考えたり、家を建てるときに「事故物件になるだろう」と想像したりする人は多くない。つまり『恐い間取り』は、予想外の人生(家生?)を辿った人間と家の物語だといえる。ノンフィクションであるため「物語」という語は適切ではない。しかし著者との出会いによって、そこで生きていた人間と家の「経緯」が「物語」として編まれ直し、読者に届けられている。
私は校正を生業としているが、そのキャリアは間取り図から始まったと言っても過言ではない。学生時代から校正に憧れていたものの、地方勤務を希望していたため理想の就職先がなく、建築現場が好きだからという理由で不動産会社に就職した。そこで間取り図のチェック業務にあたるうちに、不動産関係の校正の仕事をしてみないかと声がかかり、今に至っている。人生を電車の旅にたとえたとき、乗り換えなしで(何なら快速や特急で)目的地に辿り着く人もいるだろう。しかしわたしの場合は、鈍行を乗り継いでいるうちにたまたま目的地に到着した、という感覚である。
世間では、校正は極めて文系的な仕事だと思われているが、間取り図のチェックには図形や空間の認識能力が求められる。説明文や写真と間取り図が合っているかどうか、部屋を見透かし、展開し、くるくると回転させたりもしながら、図形の見取り図を描くように正誤を確認していく。対象を好きな角度から見られる3Dコンテンツがあるが、それに近いかもしれない。
『恐い間取り』を読んでいても、間取り図のチェックをしてしまう。「玄関の右手に浴室がある」、ふんふん、合っているな。「そこが現場である」、う~む、想像したくなかった……。発見時の様子についても詳細に記載されているが、そこまで想像してしまうと少し気持ちが暗くなるのでおすすめしない。とはいえ、わたしの頭のなかで回転しているとき、その事故物件は物語をそぎ落とした「家」としての姿を保っている。人間が生きていくために作られた器として、次なる入居者を待っている。
近年、納棺や火葬、特殊清掃など「人の死」をテーマにした本を多く見かけるようになった。SNSや動画サイトが普及して情報を発信しやすくなったことも理由のひとつだと思うが、やはり多くの人が気になるテーマであることが最大の理由ではないだろうか。わたしが本書を手にした理由も「怖いもの見たさ」であった。予想外を迎えたとき、人はどうなるのか。そもそもどうしてそうなったのか。その後の世界はあるのか。それは、これまで生きてきて「予想外は他人事ではない」と考えるようになったからでもある。先ほど人生を電車の旅にたとえたが、乗り間違いは往々にして起こる。軌道修正ができればよいが、運悪くできなかった人も、したくないと考えた人もいることだろう。悪趣味かもしれないが、いつか来るそのときに備え、それぞれの終点をわたしは見たいのである。
『恐い間取り』に掲載されている間取り図は、予想外を迎えた人々とわたしたちをつなぐパスポートのような役割を果たしている。各エピソードに登場する間取り図は、それだけを見るとよくある一戸建てや集合住宅である。以前住んでいたあの家に似ているな、と考える人も多いだろう。ただ一つ違うのは、予想外の出来事が起こったということだ。本書の間取り図を挿絵として流し見するのは惜しい。頭のなかに家を再現し、覗いてみると、事故物件は特別な家ではないことがわかる。
間取り図から家を想像し、頭のなかで回転させるとき、わたしはいつも「生々流転」という言葉を思い出す。頭のなかで家がくるくると回るように、人間もくるくると入れ替わっていく。今の入居者が退去しても、次の入居者がやってくる。事故物件になったとしても、そこに住もうと考える人が現れる。今の状況はいつか終わり、そこからまた何かが始まる。『恐い間取り』は人智を超えた世界の話ではあるが、事故物件は実在するものであり、そのエピソードはわたしたちが生きている世界で実際に起こった出来事である。あのとき乗らなかった電車の終点が、『恐い間取り』なのかもしれない。自分も予想外と隣り合わせであると考えると、ゾクッと恐くなる。そして、今を大切にしようと思えるから不思議だ。