「分かりにくい」と「分かりづらい」の意味と違い

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「分かりにくい」と「分かりづらい」の意味と違い

「この文章は分かりにくい」、あるいは「この文章は分かりづらい」。

どちらも、ある文章を理解するのが難しいことを表しますが、ニュアンスに違いはあるのでしょうか。この記事では、「分かりにくい」と「分かりづらい」の違いについて、国語事典類での取り扱いを比較しながら解説します。

[記事作成にあたっては、以下の書籍・辞書・サイトを参考にしています]

・『明鏡国語辞典 第三版』(大修館書店)
・『新明解国語辞典 第七版』(三省堂)
・『精選版 日本国語大辞典』(小学館)
・『デジタル大辞泉』(小学館)

「~にくい」と「~づらい」の意味と違い

『明鏡国語辞典 第三版』(大修館書店)の「にくい」の項目には、「『~づらい』は主観的な困難さを表す傾向があるが、『~にくい』は客観的な理由による困難さも表す」との説明があります。

具体例として、「入りづらい大学」・「入りにくい大学」という表現があげられています。「入りづらい大学」は、「個人的な事情や気持ちから」入るのが難しいというニュアンスを表します。

たとえば、何か不義理があってその大学に近づくのがためらわれるといった場合は、個人的な気持ちを表すため「入りづらい」という表現になるでしょう。それに対して、倍率が高いため入るのが難しいという場合は、「入りにくい大学」とすることで倍率という客観的な理由があることがより明確になります。

次に『新明解国語辞典 第七版』(三省堂)の語釈を見てみましょう。「づらい」については、「(する方の側に)何らかの障害があって」思うようにできない、と説明されています。

用例としてあげられているのは「年を取って細かい字が読みづらくなった」(=自分が年を取ったために読むのが難しくなった)という表現です。

一方、「にくい」の意味としては、「そうすることに抵抗感があってできない」に加えて、「壊れにくい機械」のように、「仕組などの点から容易には実現出来ない」というものもあげられています。

『明鏡国語辞典』と同じく、「づらい」には主観的なニュアンスがあり、「にくい」は客観的な意味合いも含むとされていることが分かります。

上記の国語辞典での説明を踏まえると、
「この文章は分かりにくい」と「この文章は分かりづらい」の違いは以下のように考えることができます。

「この文章は分かりにくい」…文章そのものに問題があって、理解するのが難しい
「この文章は分かりづらい」…自分の読解力や理解力などに原因があって、文章を理解するのが難しい

ただし、たとえば『デジタル大辞泉』(小学館)では「づらい」の項目内に「…にくい」とも記載されているように、意味の違いに触れていない国語辞典もあります。

おわりに

「分かりにくい」と「分かりづらい」は厳密な使い分けが必要というよりは、どちらを使っても誤りにはならないものの、使い分けることによって伝えたいニュアンスをより明確にできると考えるのがよいでしょう。