『百年の孤独』の読書感想文|校正者が仕事から離れて読んだ本

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校正者が仕事から離れて読んだ書籍の「読書感想文」

この記事で紹介する読書感想文は、普段は文章をチェックする仕事をしている「校正者」が、仕事から離れて一読者として本を読み、その感想をつづったものです。今回紹介するのは、現役の校正者、佐藤鈴木さんが、『百年の孤独』を読んだ感想です。

 One Hundred Years of Solitude
『百年の孤独』(ガブリエル・ガルシア=マルケス (著)、鼓 直 (翻訳)、新潮社)

『百年の孤独』の読書感想文(約2700字)

2024年、世界が滅亡に瀕していたことをご存じでしょうか。「文庫化されたら世界が滅びる」と囁かれていた小説、ガブリエル・ガルシア=マルケス著『百年の孤独』が文庫化されたのです。

なぜ「世界が滅びる」と言われていたのかは定かではありません。ただ、1972年に単行本が刊行されて以来売れ続けているのに50年以上も文庫化されなかったという、稀有な作品であることは確かです。

文庫化のニュースは発売前からSNS上で話題になり、発売後わずか半月で7刷、累計26万部(新潮社ホームページhttps://www.shinchosha.co.jp/book/205212/より)という、翻訳小説としては異例の売れ行きを見せました。決して取っつきやすいとは言えない、文庫本にして600ページ超の長編が飛ぶように売れていく様子に、不況と言われて久しい出版業界で働く者として胸が熱くなりました。

乗るしかない、このビッグウェーブに……! というわけで、今回は『百年の孤独』を紹介します。

この作品の内容を一言で言うと、マコンドという架空の村を舞台にした、100年にわたる年代記です。マコンドを建てたホセ・アルカディオ・ブエンディアとその妻のウルスラ・イグアランから始まる一族が、繁栄し、やがて滅びるまでの物語です。

文庫版の底本となっている全集版は、1999年に訳されたものです。昔の翻訳書は読みづらいというイメージがあるかもしれませんが、個人的な感想としては、古さをほとんど感じずすらすらと読めました。

その要因の一つとして、人間の心の動きが現代日本人にとっても十分理解できるという点があると思います。ホセ・アルカディオ・ブエンディアが錬金術にハマって、反対する妻を押し切って財産を食いつぶしたり、ひとりの男を巡ってふたりの女が争い、恋敵の花嫁衣装をだめにするため計略を練ったりと、書かれた国も時代も違うのに不思議と「あるある」と感じられました。

その一方で、作中ではたくさんの超常的な現象が起きます。決闘で死んだ男が悲しそうな顔でうろついていたり、傷から流れ出した血が家の外に出て、道に沿って街を進み、別の家までたどり着いたり、空からたくさんの花が降ってきて家の扉が開かないほど積もったり。先の展開の予想がまったくつかず、次は何が起きるのだろうかとそわそわしながら読み進めると、600ページはあっという間でした。

そして忘れてはならないのが、「百年の孤独」という素晴らしいタイトルです。原書のタイトルはスペイン語で「Cien años de soledad」、英語だと「One Hundred Years of Solitude」で、直訳すれば「孤独の百年」です。「孤独の百年」と「百年の孤独」を比べると、「孤独の百年」はこぢんまりとした、個人的な物語のような印象ですが、「百年の孤独」には奥行きと謎めいたロマンを感じます。私の中の「邦訳タイトルが素晴らしい翻訳小説」ランキングでもかなりの上位に食い込みます。

しかし校正者としてこの作品を見ると、今度は「校正したくない小説」ランキングの上位に入ります。私にとっての「校正したくない小説」の条件はいくつかありますが、『百年の孤独』に当てはまるのは「登場人物の名前がややこしい」「似た名前の登場人物が出てくる」「世界観を飲み込むのに時間がかかる」の3点です。

①登場人物の名前がややこしい
本作の登場人物は「ホセ・アルカディオ・ブエンディア」「ピラル・テルネラ」といった耳慣れないカタカナの名前を持ちます。最初に覚えるのに骨が折れるだけでなく、読み慣れてくると「ホセ・アルカディオ・ブエンディア」が「ホセ・アルカルディオ・ブエンディア」になっていたり、「ピラル・テルネラ」が「ピラル・テネルラ」になっていたりしても見落としてしまいそうになります。名前を頭に入れてスムーズに読み進めることと、初心を忘れずに1文字ずつ確認すること、両方やらなければならないのが校正者の辛いところです。

②似た名前の登場人物が出てくる
本作には似た名前、というよりほぼ同じ名前の人物が出てきます。出てくるなどというレベルではなく、猛烈に、鬼のように出てきまくります。

どれくらい出てくるかというと、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの長男がホセ・アルカディオ、その息子がアルカディオ、その息子はホセ・アルカディオ・セグンド。また、ホセ・アルカディオ・ブエンディアの次男はアウレリャノ(大佐)、その息子の一人はアウレリャノ・ホセ、一族の最後の一人となったのはアウレリャノ、その父親はアウレリャノ・バビロニア……といった具合です。極め付きは、アウレリャノ大佐は各地で17人の息子を儲けるのですが、その名前は全員(!)アウレリャノです。文庫版の冒頭に付されている系図では「アウレリャノ(17人)」という反則級の表記になっています。

小説の校正にあたっては、内容の整合性を確認するため、登場人物リストや人物相関図を作りながら読んでいきます。しかしこれほど名前が似た人物が大量発生していると、リストを作るときも混乱し、参照するときも混乱するのは必至です。読みながら何度か、「これはどのアウレリャノだよ!!」と頭を掻きむしっている校正者の自分を幻視しました。

③世界観を飲み込むのに時間がかかる
小説を校正する際、最初から最後まで一定のペースでは進められません。個人的に一番時間がかかるのは冒頭部分です。世界観や設定を把握しなければならないためです。世界観が飲み込めると、そこからは比較的ペースアップできますが、『百年の孤独』は世界観をつかむまでにしばらく読み進めなければなりませんでした。

私がこの作品をどういうテンションで読めばいいのか把握できたのは、文庫版の40~41ページでした。前に述べた「決闘で死んだ男が悲しそうな顔でうろついて」いるシーンです。男は傷口を洗う水を求めてさまよっていますが、それを目撃したホセ・アルカディオ・ブエンディアと妻のウルスラは怯えたり目を疑ったりするでもなく、ウルスラに至っては水を用意してやりさえします。この場面を読んでようやく、この作品はこういう現象が当たり前に起きる世界の物語なのだと理解できました。

『百年の孤独』を紹介するとき、「マジックリアリズム」という言葉がよく使われます。マジックリアリズムとは、「非日常・非現実的なできごとを緻密なリアリズムで表現する技法」(小学館『デジタル大辞泉』)です。

一読者として読むとき、「マジック」に翻弄されることは楽しいものですが、翻弄されてばかりもいられない校正者として読むときは、「マジック」は厄介なものに変わります。本作は、趣味で読んで面白い小説と仕事として読みやすい小説は別物であることを、改めて実感させてくれる作品でした。

『百年の孤独』(新潮社)