目 次
校正・校閲の適性[校正者に向いている人・向いていない人]
どんな仕事でも人によって向き不向きがあります。それは、その人の能力が高いとか低いということではありません。環境のせいで能力を発揮できていないということも考えられます。
校正と校閲はよく一括りにされることが多いですが、作業内容からすれば「校正」と「校閲」は明確に線引きはできないにせよわかれてきます。
そのため、校正と校閲の作業にわけて、向いている人・向いていない人を考えていきたいと思います。
この記事では、校正と校閲の定義を次のようにしています。
・校正とは、原稿の通りに制作されているかを、校正ゲラと見比べること
・校閲とは、文章の内容が正しいかを見極めること
1.「校正」に向いている人・向いていない人
校正作業は、原稿や赤字の指示通りに制作されているかをゲラと見比べて相違点を見つけることです。間違い探しに近い作業です。
校正という作業自体は、誰もが小さい頃からやってきていることです。自分が書き写したものを見比べたり、何かと何かの違う点を比較して見つけたりするという行為です。
仮に、校正に必要な判断力や決断力を除き、単純に間違いを探すということだけに特化するなら、高校生や中学生のほうがむしろ得意な領域かもしれません。
校正は、小さな頃から大人になっても誰もがやっている作業なので、向いている・向いていないというよりは、そういう緻密で正確性を要する作業が好きかどうかで決まってきます。
そのため、正しい研修を受け、努力・経験を積めば一定の技術水準に達します。そこから上を目指して行くなら、いずれはベテランといわれるレベルに達するのも可能です。
嫌々校正の仕事に就くという人は、当然向いていないですが、校正という仕事を志望し努力をする人なら、向いている・向いていないはあまり関係ありません。
校正の仕事への適性は「好き=向いている」といえます。
校正はその作業が好きで、正しい研修さえ受ければ、あとは自分の努力次第です。
2.「校閲」に向いている人・向いていない人
校閲は文章の内容が正しいかを見極めることと前述しましたが、
校閲の作業をさらに分類していくと、
・文章の誤字脱字
・適切な文章表現
・事実確認(ファクトチェック)
・表記統一
などに加えて、各媒体のルールなど、その範囲は非常に多岐にわたります。
校閲は、確認する項目も多く時間も要するため、相当な根気と集中力が必要とされます。その人が今までの経験で培ったきたすべての要素が試されてきます。
そのため、校閲は校正と違い、スタートラインで既に差がついています。校閲未経験の初心者でも、研修の段階で既に一定の校閲レベルに達しているという人もいます。
校閲が向いている・向いていないに暗記系の知識はあまり関係なく、思考プロセスが重要です。考え方がロジカルで、別の角度からも見られる(疑う)視点を持っているかどうかです。
企業の採用試験などで用いられているSPI総合検査で例えるなら、
「言語分野」のような暗記系でなく、
「非言語分野」「構造的把握力」に優れている人が校閲向きだといえます。
漢字の使い分けや言い回しなどの暗記系は、仕事に就いてから覚えればいいことです。校閲する業界が決まっているなら、まずはその分野に絞って知識を身に付けたほうが仕事に役立ち効果的です。
校閲者になりたいからといって、必死になって漢字を覚えるなどの努力は適切とはいえません。無駄にはなりませんが、実務への効果はあまり期待できないです。
この「非言語分野」「構造的把握力」は苦手な人も多く、努力をしたからといって、その努力に比例してスキルが上がるわけでもありません。この分野が苦手な人は、校閲作業には向いていないかもしれません。
ただし、校閲作業をどのレベルまで要求されるかによります。校閲に要求されるレベルが、誤字脱字・表記統一程度なら、向き不向きはあまり関係ないです。経験と努力でカバーできます。
校正者に向いていないマインド
校正、校閲の両方に共通することとして、その人の仕事に対する考え方や取り組む姿勢が、向いている・向いていないを左右する一番の重要なポイントになってきます。
考え方や仕事への取り組む姿勢は、適性以上に大切なものです。
1. 思い込みが強い人
・あの人がこうだと言ったから、こうなんだという思い込み
・多分こうだろうという先入観
・もう間違いはないだろうという自己解釈
思い込みの強いタイプの人は、疑う視点が欠如していることが多いです。
何でもかんでも疑うことが正しいことではないですが、校正や校閲の仕事においては、疑う目や違う見方ということは非常に大切になってきます。
2. 見切りの早い人(粘り強くない人)
見切りの早いことがいいように働く仕事もありますが、校正ではそれが仇となります。
・これだけ校正に時間を掛けたのだからもう安心だ
・これだけ赤字を入れたのだからもう大丈夫だろう
など、自分の基準で区切りを付けてしまうことです。
普通の校正者なら、校正にいくら時間を掛けても、まだどこかに間違いがあるかもしれないという不安はなくなりません。逆に、その不安が粘り強く間違いを見つけていく動機になります。
校正・校閲は、必ずしも正解があるという仕事でもなく、仮に誤った用法であっても、発注者がいいと言えば、それが採用される場合もあります。
どんなに時間を掛けても自分では見つけられない間違いや、正解があるようでない、そういう不確かな仕事に粘り強く対応できるかどうかという姿勢は、向き不向きを左右する重要な要素になってきます。
校正・校閲の適性のまとめ
校正・校閲に向いていない人は、
・思い込みが強いタイプ
・見切りが早いタイプ
上記のマインドを除けば、
・校正は、向いている人・向いていない人はいない(←正しい研修を受ければの前提)
・校閲は、向いている人・向いていない人がいる
校閲の仕事に就くまでの経験値が重要。ただ、校閲のレベルによる。誤字脱字、表記統一程度なら努力や経験でカバーできる。
それ以上の校閲となると向き不向きが出てくる。SPIの「非言語分野」「構造的把握力」の問題が、その適性の判断材料になる。