校閲のコツと考え方【文章校正に必須の知識】

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校閲のコツと考え方【文章校正に必須の知識】

校閲の仕事と聞くと思い浮かぶのは、文章のおかしな点や誤字脱字を見つけること、全体の矛盾をなくすといったことかもしれません。 

間違いには様々な種類があり、一つ一つの事例をあげていけばキリがないくらいたくさんあります。

そこで、実際にどのようなことに気をつけて校閲をしているのか、校閲で確認すべき基本的なポイントをいくつか紹介していきたいと思います。

間違いを覚えるというよりもこういう考え方(見方)で校閲をしているという意識のあり方を学んでもらえると幸いです。

校閲の仕事においては、豊富な知識はアドバンテージとなりますが、今では知識は辞書やインターネットなどの外部記憶で補完することができます。そのため間違いを見つける感覚を養っていくことが大切になってきます。

簡単と思えることにも気を抜かず、先入観や思い込みを極力排除し、フラットな視線で物事を見られるかが必要とされます。

例文1

Q
1.明日、5月25日は母の誕生日。薔薇の花を5本買って家に帰ろう
2.「今日夕方から雨降るみたいだから傘もっていきなさいよ、と母に言われた。

は句点(マル)の抜け、は閉じのカギカッコが抜けています。この例文は短いので、抜けていることにもすぐ気づけますが、長文になればなるほどこの手の間違いは厄介になってきます。複数の段落の一部の段落の句点が抜けているということもあります。

こういった間違いは、単純な入力ミスが原因とも考えられますが、文章の削除や追加を何度も繰り返していると起こりやすくなります。

例文2

Q
1.私はそう言ったのですが、、彼は否定しました。
2.私はそう言ったのですが、彼は否定しました。。

、それぞれ句点と読点が連続しています。友人同士のメールやSNSなどの個人的な発信で心情を表すときなどには句点や読点を複数用いた表現も許されますが、通常の文章ではふさわしくありません。

「こんな簡単な間違いを見逃すはずがない!」と思うかもしれませんが、この文が画像やイラストに付くキャプションなどの級数が小さい文字だと見落とされる可能性があります。また、特殊なフォントの場合にも気づきづらいことがあります。

例文1の句点の有無や起こしのカギカッコと閉じのカギカッコの対応、例文2の句読点の連続も、基本中の基本の間違いですが、この手の間違いは必ずどこの現場でも起こっています。

校閲では、文字だけでなく句読点など記号・符号類にまで気を抜かず、しっかり一字ずつ目で追っていく必要があります。

例文3

Q
1.私か言ったのは、そういう意味ではないでしょ!
2.たしかに私はそう言ったかもしれせん。

では「私」とすべきところが「私」となっています。
では「言ったかもしれません」が「言ったかもしれせん」となっています。

言われてみれば、誰でもわかる簡単な間違いですが、長時間ずっと文章を読み続けていると、脳が勝手に文字を補完して「私か」を「私が」と、「しれせん」を「しれません」としてしまいます。

この現象は人間である以上仕方のないことなので、こういうことがありうると意識しておかないといけません。

この手のミスは見逃されやすく、ダブルチェックをしても気付かれないことがあります。

「おそらく文章の内容はこうだろう」「こういう単語が後に続くだろう」「簡単な文だから間違っていないだろう」という思い込みは、高い意識を持って排除しないといけません。

難解な漢字や難しい言い回しなどに意識が引っ張られて、簡単な部文ほど見逃されることがあります。機械に頼らない人の目での校閲においては、思い込みを完全になくすことは非常に難しいことです。

例文4

校正・校閲の見落としの例として、必ずと言っていいほど紹介される同音異義語の間違いです。

例4-1
Q
第一志望の○○大学の模擬試験は、前回も今回もA判定でした。○○大学に合格する自身があります。

× 自身→ 自信

あるあると言っていいぐらい紹介される間違いです。答えをみれば一目瞭然で、これも見落とすわけないだろうと思いますが、文章を読むことに没頭していると見逃してしまうことがあります。この手の見落としは決して珍しことではありません。

例4-2
Q
1.他社製品と比較して、この商品の適性価格は1,200円です。

2.「……ぼくは校正の仕事に向いているんでしょうか?」
   「心配しなくてもいいよ。○○君には適正があるから大丈夫」

は「市場価格と比較して正しいと思われる価格」の意味なので、× 適性 → 適正
は「自分の性質にふさわしい仕事」の意味なので、× 適正 → 適性です

「適性価格」や「適正のある仕事」などは、これだけみればおかしいとわかりますが、前後の文章を読まないと判断がつかない同音異義語もあります。

たとえば、
「チェックの制度」と「チェックの精度」。
「チェックの制度」は、現在のチェック体制があまいから、チェックの制度を見直すときにはふさわしいです。「チェックの精度」は、チェックの正確性、ミスが多いときなどにふさわしい表現です。

同音異義語では、その言葉だけみて間違いと気づくものもありますが、前後の文から判断しないといけないものがあります。

通常の文章で出てくる同音異義語、特に同じようなジャンルの校閲をしている方は、出てくるものもある程度限られてきます。「またか」と思うことも多いかもしれません。

「適正」や「適性」、「自信」や「自身」など、同音異義語は漢字を分解して意味を考えれば、文章にあっているかどうかわかることがあります。たとえば、「自信」なら「自分を信じる」、「自身」なら「自分の身体」のように分解して考えます。

例文5

Q
1.彼は、意味慎重な笑みを浮かべた。

2.私も御他聞に漏れず、この状況に困っている。

この文が長文の一部に出てきた場合には何も感じないかもしれません。

校閲の仕事では、何かおかしいところがあるんじゃないかと感じるよりも、
「どこかおかしい」「どこか違うんじゃないか」「おかしな点がある」という感覚も必要です。正しいと思い込むことが一番危険な考えです。

すべての文章を疑っていると仕事になりませんが、「中庸な疑い」が大切です。
「あれ?」と思ったときは、反射的に「調べるクセ」をつけておきましょう。

四字熟語や慣用句、ことわざには誤字の要素がたくさん含まれています。違和感が起こらないことも多いです。その要因としては、誤った使用が浸透しているということがあげられます。

こういった間違いに対しては知識が必要とされます。

【関連記事】
 > 四字熟語一覧[校正をするなら覚えておきたいよく使われる・間違いやすいもの]
 > 文章校正でよく見る間違いやすい慣用句9選+α[例文と覚え方のポイント]

辞書で調べる、メモに残すことは当然の行為ですが、四字熟語や慣用句を単体で覚えるのが苦手な方は、文章の一部として覚えると頭に定着しやすいです。特に自分にかかわる興味があるものに結び付けると覚えやすくなります。

慣用句などは、辞書によって判断が違うこともあります。ある辞書では駄目であっても、別の辞書では許容とされている場合もあります。現在では誤りとされている言葉でも、時代とともに許容となり、将来的には正しいとされる可能性もあります。今の知識が絶対ということではないことです。そのためにも、複数の辞書、かつ最新の辞書は手元に置いておくと便利です。

1.
意味慎重 → 意味深長 

「意味深長(いみしんちょう)」は「人の言動や詩文などの表現に、非常に深い趣きや含蓄があるさま」のことです。

2.
「御他聞に漏れず」もよくみる間違いです。
御他聞に漏れず → 御多分に漏れず

「御多分に漏れず」は、世間一般の例と同じようにという意味になります。
「他聞」は、他人に聞かれることなので、「御他聞に漏れず」では意味がおかしくなります。
【出典:明鏡国語辞典(大修館書店)】

例文6

Q
石田光成は、安土桃山時代、豊臣秀吉のもとで活躍した五奉行の一人として知られる人物です。

この一文を読んだだけでも調べる箇所は複数ありますが、ここでは人名がポイントになります。人名は必ず辞書や信頼のおけるサイトで調べます。歴史上の人物名なら『日本史用語集』などが便利です。

ここでは「石田三成」の「光」が違っています。
正しくは、光成 → 三成となります。

「三」も「光」も簡単でよく見られる漢字です。両方とも小学生で習う感じです。意識せずとも普通に読めてしまうものほどうっかり見逃されすいです。

校正・校閲の参考問題で、難しい漢字がピックアップされるは大きな間違いです。ごく見慣れた簡単な漢字も見落とされやすいです。難しい漢字は、誰もが気を付けなければいけないという意識があり目が行きます。

普段から目にしているような、何も意識せずにさらっと読めてしまう漢字ほど読み飛ばす可能性があるので注意しましょう。

歴史上の人物や著名人の名前は、教科書やテレビ、書籍などでもよく見たり耳にしたりするので慣れ親しんでいます。そのせいか間違っているはずがないだろうという思い込みで見てしまいます。その思い込みが、校閲の仕事でもっとも大切な違和感をそぐ原因となります。

確認のコツとしては、固有名詞などは、文章に出てくるたびにいちいち手を止めて確認するよりも、鉛筆などでチェックを入れておいて、後からその部分だけをピンポイントで確認するというやり方もあります。

例文7

Q
1.1970年(昭和45年)3月15日から9月13日までの183日間、大阪で万国博覧会が開催された。

2.私が生まれたのは、1993年5月25日の火曜日でした。

ここでは、西暦と和暦の対応、日付と曜日の対応がポイントです。西暦と和暦、日付と曜日の不一致は非常によく見かけます。

1970年は、昭和45年です。 
1993年5月25日は、火曜日です。
ともに正しいです。

西暦と和暦、日付と曜日の対応は、公的なサイトやいくつかの辞書で必ず調べます。知識に自信があっても記憶に頼りません。校閲では鉄板の確認ポイントです。

こういった西暦和暦の対応のような文章中でよく見かけるものは、既に机の前に西暦和暦の対応表を貼り出している方も多いかもしれません。

注意点としては、西暦が正しいのか和暦が正しいのか判断できないものです。上記の例文は辞書等で調べれば正解がわかりますが、辞書にないような個人的なものは調べようがありません。

・彼女は、2003年(平成14年)からこの会社に勤めている。

2003年が正しいなら、平成15年となります。
平成14年が正しいなら、2002年となります。

どっちが間違いか判断できない場合は、一方を正として赤字を入れないように注意しましょう。

例文8

Q
菜々美は、読書が大好きだ。幼い頃から菜々美は本に親しみ、母と絵本を読む時間が楽しみだった。ある日、今日も図書館で本を探していると、「菜々美ちゃん」と声をかけられた。奈々未が振り向くと、友人の今日子が立っていた。

菜々美は、読書が大好きだ。幼い頃から菜々美は本に親しみ、母と絵本を読む時間が楽しみだった。ある日、今日も図書館で本を探していると、「菜々美ちゃん」と声をかけられた。奈々未が振り向くと、友人の今日子が立っていた。

この短い文章の中に「ななみ」が4回出てきますが、4つ目の「ななみ」だけ「奈々未」と漢字が違っています。

この例は単純な変換ミスですが、名前自体が変わってしまうことも珍しくありません。途中から「菜々美」が「菜々子」になってしまうケースです。

登場人物の名前が途中で違ってくるというミスは意外とよく聞かれます。単行本や文庫本の長編小説になると、長さゆえ、あるいは作業の疲れから見落としてしまうことがあります。名前をしっかり頭に叩き込むことも大切ですが、人物の相関関係図などを作るのもミスを防ぐ方法の一つです。

また、人名だけでなく、作品名、製品名、商品名なども違ってくることが多いので注意が必要です。

以上の1~8の例を、一度は見た、聞いたことがあるという方も多いと思います。よく見られる・聞かれるということは、それだけ多くの現場で間違われているということです。

いつどこで起きてもおかしくないぐらい身近に潜んでいる間違いということになります。

このような間違いは、簡単がゆえに難解な漢字の間違いを見つけるよりも厄介です。

間違いを見て「なんだそんなことか」と思うような間違いほど記憶に残らず、同じ間違いが繰り返されます。

例文9

さらに校閲では大切な視点があります。読者の目線でみた文章の読みやすさです。

Q
私はその花を綺麗だと思ったし、部屋に飾ったら華やかになると思った。

何気ない文章ですが、「思った」が2回出てきます。「思う」「思った」という使い勝手のよい非常に便利な言葉ですが、一つの文章で2回以上使われていたら文が単調になったり、しつこさを感じたりします。

【修正例】

私はその花を綺麗だと思ったし、部屋に飾ったら華やかになると考えた。

2つ目の「思った」を「考えた」にしてみただけですが、少しスッキリします。しかし「思った」が2回出てきたからといって間違いではありません。著者が意図的に2回使ったという可能性もあります。

そのために違和感があっても指摘は、赤字でなく鉛筆ですることになります。校正・校閲の基本原則は、原文を活かすことです。疑問出しの際は、「こうした方がいいです」というよりも、「こうした方がよりわかりやすいかもしれません」と著者に提案するニュアンスでするのが賢明です。

ただ、この手の文章への指摘はむやみやたらにすればいいというものでもありません。読者の視点と著者への最大限の配慮が必要です。個人の主観は必要ありません。

文章を読んでいると、一つの文が長い、同じ言葉の繰り返しが続く、修飾語が多くて文意が伝わりづらいこともよくあります。さらにいえば、読者の年齢層などを想定した表現や使用する漢字を考える必要もあります。校閲では、時にそういう視点も必要になってきます。

校閲者へなるための学び

校閲では、文頭から文末までくまなく見る、さらに俯瞰してみる。そうやって視線を交錯させていくことで間違いをあぶり出していきます。

そして違和感があれば必ず辞書を引きます。辞書を引くというよりも反射的に辞書に手が伸びる感覚です。仮に自分が知っている語が出てきても辞書を引くという気持ち(実際には引かなくても)を持って挑みます。

○○年に何が起こったという知識は辞書に頼ることができますが、疑問に思う感覚・間違いを見つける嗅覚は、誰にも頼ることができません。自分で培っていくものです。

一方で、地道な努力も必要です。これは校閲の仕事だけではありませんが、いろいろな間違いに触れる、ことばに触れる、他の校正者と接する。学んだことはメモに残して定期的に振り返り、記憶の定着へとつなげる。

その場その場で頑張ろうという意識ではなく、自分が学んだ軌跡を形に残していきます。そうしてベテランの校閲者へとなっていきます。

おわりに

校閲の仕事では、文章の正しさだけでなく読みやすさも確認することがあります。正しい漢字、正しい文法で構成されている文だからといって、読みやすい文になるとは限りません。

校閲の経験が浅いころは、誤字脱字を追うので大変かもしれませんが、経験とともに視野が広がり、文章全体への気配りもできるようになってきます。

努力も大切ですが、それ以上に一文字に対する意識を高めることが大切になってきます。